スト値上げなしで一か月20即したはんちょうの知られざる過去

こんにちは、はんちょう(@yF45uHwj76Zd4si)です。

僕のことを知らない方もいると思うので、軽く自己紹介をさせていただきますと、

「ちょっと女遊びをしたい」というのをコンセプトに、22歳スト低吃音持ち低身長ニートでありながら、

✅5日連続即
✅現在47即
✅数追いスト値上げ無しで1ヶ月20即

と言った実績を残している人です。


また、現在はんちょう講習という名前で講習も行っております。


講習生の声

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まだ講習は募集しており、30分の無料相談も承っておりますので、興味ある方はぜひ僕のTwitterのDMからご連絡していただけたらと思います。
https://twitter.com/yF45uHwj76Zd4si

そんな僕ですが、この記事でははんちょうについてもっと知りたいという方に向けて記事を書きました。

  • 吃音もち
  • 低身長ニート
  • スト値上げなしのスト底
  • にもかからず一か月20即達成

した秘訣がこの記事でわかるかと思います。

今回は、そんな異色の経歴を持つ僕がどういう歴史を刻んできたのか。

ということについて、語っていきます。

目次

お金持ちボンボン小学生

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僕の地元は関東のとある場所で、かなり治安が良い場所で育ちました。

ヤンキーはほぼおらず、ジジババが街を支配しているような街。

なので、かなりぬくぬくと育ったと思います。

ちなみに今では面影が全くないですが、当時はめちゃくちゃ太ってて運動もできず、勉強もしない、典型的なthe小学生。

あと付け加えるとすると、僕の親はかなりのお金持ちだった。


例えば、当時は遊戯王カードがめちゃくちゃ流行っていたのですが、僕は同級生になんとしても勝ちたかった。


そこで、親に買って買ってとねだりまくり、休日にお店へ行って、カードのパックを箱買い、、、、

なんて非効率なことはせず、お金の力をフルパワーに使い、カードの専用ショップで欲しいカードを1枚約5,000円払って狙い撃ちしまくった。笑

中でもカード自体がざらざらして光ってる、アルティメットレア(レリーフ)のカードがめちゃくちゃ好きだった。

今でもよく覚えているのは、ブルーアイズアルティメットドラゴン。

こいつは当時の最高のパートナーだった。

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そしてカードを買った翌日には、必ず友達に見せびらかして、放課後に友達と対戦する。

そんな毎日を送っていました。

ちなみにそんな強いカードを沢山持っていたのにもかかわらず、僕はカードのデッキをシャッフルしたように見せかけて、禁止カードをデッキの一番上の持ってきて、1ターンで殺す。

みたいなことを平然とする、最早勝つためには手段を選ばない、小学生らしからぬムーブをとっていました。

他にも、買ってもらったゲームを友達にあげることなんてザラにあった。

当時は、ポケモンのダイヤモンドとパールが全盛期で、みんなでこぞってディアルガとパルキアを捕まえるために奮闘していた。

ただ、中にはポケモンのソフトがいない子もいたので、何を思っていたのかわからないが、友達にソフトをめっちゃあげまくった思い出も。

もちろん、親からは毎回こっぴどく怒られたけど、それでもやめなかった。

なんでだwww


と、こんな感じで今振り返ると、小学生の頃から金でマウントをとってる、めちゃくちゃ嫌なやつだ。笑


ただ、、、、、


僕はこの頃から顔がイケメンじゃなかった。

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どちらかというと、可愛い系みたいな顔をしていた。
(それでも、ブスには違いなかったがw)

そのせいか、謎に友達のお姉ちゃんからめちゃくちゃ人気で、可愛がられた。

ただ、友達のお姉ちゃんから「はんちょう君〜」と声をかけられても、拗らせていた僕は「うっす」みたいな感じで、いつもクールぶっていた。

ちなみに、そのお姉ちゃんは綺麗系のすらっとした体型で、小学生にしては発育の良い胸の膨らみをしていたのをよく覚えている。


まぁこんな感じだったのもあって、カードでマウントをとっても顔でバカにされ、うまい具合にプラスとマイナスが融合して、みんなから愛されるいじられキャラとしてのポジションを確立していた。

ただ、男子とは仲良く話せた一方、女子とはそんなに話す機会がなかった。

というのも、まず小学6年生まで女子に興味が無く、小6でエ○知識をやっと知ったからだ。

エ○知識を得たきっかけは、友達の家で初めてA○を見た時。

仲が良かった友達複数人で、その友達の内の1人の家で部屋を暗くして、ドキドキしながら見た。

そこで、「なるほど、こんなのもがあるのか」みたいな感じで達観していたけど、そこから女という生き物への興味が湧き上がったのは、言うまでもないだろう。


まぁ、そんな小学生時代を過ごした後、僕は地元の公立の中学校に進学をした。

突然の吃音症

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僕はぶっちゃけて言うと、小学生のころはまぁまぁカーストは上の方だった。

なので、中学でも良いスタートを切ってやろうと意気揚々としていた。

そして、クラスで初めての自己紹介。

だが、、、、、、


僕は急に声が出なくなった。

あれ?

そう思って、また声を出そうと思ったが、それでも声が出てこない。


そして、これがきっかけで僕のカーストは一気に下がり、インキャ扱いになり、みんなからは“話せない子”と言うように認識された。


そこから僕は、自信を無くしてしまった。


さらに、小学生の頃から仲が良かった友達5人は、それぞれのクラスで早速中心の存在となっていた。

その状況が、僕からさらに自信を奪っていった。


「僕だけ失敗した。」


そこからは、地獄の始まりだった。

声を出そうにも、全く声を出すことができない。
授業でさされても、教科書を読むことができない。
小学生の時はみんなと仲良く話せたのに、一切話せない。

そんな毎日が続いた。


だがそんな中でも、唯一熱をあげられるものがあった。

それが、部活だ。

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僕は中学に入って、バドミントン部に入った。

最初はなんとも軽い気持ちで、デブでもできるスポーツと言ったら、バドミントンでは?的な感じで入った。


だけど、この選択を僕はちょっとだけ後悔した。

と言うのも、実は僕が入学した中学は、バドミントンの強豪校だったから。

毎年県で1位は当たり前で、同期にジュニアがいたとでも言えば、どれぐらい強いかがわかると思う。(なんなら友達が1人プロになった)

なので案の定、練習は地獄のようにきつかった。

夕練+下校時間の後は近くの公園で21時まで自主練(強制)、
ランニングで毎日18〜20km走り(多分陸上部より走ってた)、
ノックという練習を普通なら1セット30回を、1セット300回、

そんな生活を週6で送っていた。

そして、ここまで練習がキツければわかる通り、僕はどんどん痩せた。

だらしなかったお腹は引き締まり、まん丸だったふくらはぎは、キン肉マンみたいにガッチガチになった。

我ながら、よく頑張ったと思う。

ただ、なぜここまで頑張れたのか。

この理由は、なんだかんだ『仲間』のおかげだと思う。

どれだけきつくてもお互いに励まし合い、試合で勝った時は抱き合って喜び、負けた時は悔し涙を流す。

そんな人生の多感な時期に、感情を曝け出すことができた仲間の存在が、僕の支えになっていた。

ただ、今でも忘れることのできない、ある出来事がある。

それは、中学3年での最後の夏の大会。

それまで僕の学校は、団体戦で、関東大会に何年も連続で出場していた。

なので、僕の代でも当然の如く、関東大会に進むことを前提に、毎日練習に取り組んでいた。

そして完璧に準備を整えて臨んだ、関東大会予選の準決勝。

この試合は、大会でのベストゲームと言っても過言ではなかった。

点を取ったら取られ、取られたら取り返す、という非常に熾烈な戦いが繰り広げられ、会場の声援の熱も最高潮だった。

そして、訪れた最後のゲームポイント。

相手が羽を打った。

僕のところに飛んできた。

これを相手のコートに落とせば決勝進出。

絶対に決める。

そして、思い切ってラケットを振ったその瞬間。

羽は自陣のコートに落ちていた。

そして、その後も点数を取られ、ゲームセット。

僕らは準決勝で敗退した。

僕は、ここ1番の最も大事な場面で、まさかの空振りをした。

バドミントンをやっている人ならわかると思うけど、普通空振りするなんてことはありえない。

サッカーのPKで、置いてあるボールを空振りするようなのと同じレベル。

それぐらい、ありえないことを僕は準決勝の最後の最後でやらかした。

そして、県大会ではベスト4という結果で敗退。

仲間からは全然気にしてないよと言われたけど、その言葉が何よりもきつかった。

僕がみんなの最後の大会を終わらせてしまったのだ。

僕は悔しくて悔しくてその後1週間くらいは毎夜毎夜泣き続けた。

ただ今思い返すと、そこまで熱量を込めて部活に打ち込めたおかげで、かけがえのない沢山の思い出を作れたから本当に心から良かったと思ってる。

当時の仲間には、今更ながらだけど、心からの感謝を伝えたいです。

そんな僕でしたが、実は部活だけじゃなく、ちゃんと恋愛もしていた

と言えるほど、ちゃんとした恋愛ではなかったけど、中1の最後の方に片想いだった子が1人だけいた。

その子は広瀬すずをすごいすっぴんにした感じで、背が小さめの可愛らしい感じの子だった。

なので、ここでは仮に名前をすずとかにでもしておく。

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僕はすずと一度も話したことがなかった。

いつも遠目から、「かわいいなぁ」と思って、眺めるだけ。

好きになったきっかけは特になかったけど、気づいたらいつの間にか好きになってた、ってやつ。

ただ、僕は運が良いことに、僕の親友とすずが仲が良かった。

そこで、親友が仲を取り持ってくれたおかげで、すずが僕によく話しかけてくれるようになった。

だけど、僕は吃音症。

うまく話すこともできず、会話も続かず、ただただ恥ずかしい気持ちと悔しい気持ちでいっぱいだった。

そんな姿を見ていた親友が見かねたのか、僕と親友とすずの3人で、今度ご飯に行こうと提案してくれた。

僕は「すごい緊張する。でも行ってみたいな。」

そう思い、3人でご飯に行くことを了承した。

その後はわかりやすくテンションが上がり、予定が決まってから当日まで、その日を今か今かと待ち続けた。

そして、予定当日。

僕は身支度を整えて、すずの家に向かった。

というのも、集合場所がすずの家だったからだ。

すずは両親がおらず、おばあちゃんと二人で古くて壁が薄いボロボロのアパートに住んでいた。

なので、中の音が外に丸聞こえ。

そして、その日も中の音がよく聞こえた。

僕はトコトコ歩いて、すずの家に無事到着した。

高まる気持ちを抑えながら、ピンポンを押そう、、、、

と思ったんだけど、何やら家の中から物音がする。

なんの音だろうと思い、よく耳をすまして聞いてみると、、、、

その音は、親友とすずがS○Xしていた音だった。

当たり前だけど、僕はピンポンを押せなかった。

そして、ことが終わるまで外で待った。

大体15分ぐらい経った頃、ようやく音が静かになったので、ピンポンを押した。

「遅いよ」

と言いながら、親友がドアを開けてくれた。

いや、無理だろ。

その後は、当たり前だけど、僕だけひたすらきまづかった。

なんでやっていたのか。
2人は付き合っているのか。
なんで集合時間にやっていたのか。

と、聞きたいことばかりだったけど聞けるわけもなく、その日は全くご飯を楽しむことができなかった。

ただ、その後、2人は付き合ってないことがわかった。

それで何を思ったのか、ワンチャンあるんじゃね?みたいな感じで、謎の自信が湧いてきた。知らんけど。

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そこでたまたま廊下ですれ違った時に、思い切ってすずに話しかけた。

そしたらすずから「メアド交換しよう〜」と言われ、メアドを交換した。

当時はまだスマホはあったけど普及はしていなかったから、ガラケーだったのでメアドを交換した。

そこからさらに追い討ちをかけるように、すずから「今度2人でご飯行こ!」と誘われた

もちろん僕は喜んでその誘いに乗った。

けど、遊びに行く当日。

すずは集合場所に来なかった。

その瞬間、僕は全てを悟った。

「あ〜、僕はただ、すずに遊ばれてただけなんだな。」

と、これが僕の中学時代の唯一の恋愛。

なんて、悲しすぎるんだよ僕。

こんな感じで僕は恋愛?をし、勉強は全くせず、ひたすら部活に打ち込む、と言う生活で中学時代の幕を閉じた。

ヤクザ製造高校

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僕はそのまま普通の県立高校に進んだ。

本当はバドミントンの推薦で強豪高校に行ける予定だったけど、夏の大会でメンブレしたから、その推薦を蹴ってしまった。

なので、特に行きたい高校もなかったし、仲が良かった友達がみんな地元の県立高校に進学を決めていたから、僕もそこに進学することにした。

が、

僕はここでもまた後悔した。

というのも、この高校はヤクザを作っている学校だったからだ。。。

この高校は偏差値が38というかなりの底辺高校。

となると、必然的に頭が良くない奴らがたくさん入ってくるので、地元のヤンキーやら、どこかの組の子供みたいなのが、たくさんいた。

何よりも一番びっくりしたのは、体育の授業前。

初めての体育の授業で、みんなが制服を脱ぐと、その背中に揃いも揃って、虎やらヘビやら般若やらの刺青がびっしりと入っていた。

中でも、龍の刺青は圧倒的な威圧感があり、もはやかっこよかったぐらい。

そんな人たちばかりなので、余計カーストが目立つ。

もちろん僕は「これは詰んだ」と思い、カースト最底辺へ。

しかも、一緒に入った友達はみんなコミュ力が高かったため、どんどんその高校の奴らに馴染んでいく。

そして、僕はついに友達がいなくなってしまった。

常に教室の端っこで静かに過ごし、誰とも話したくなかったから、夏でもマスクをして過ごした。

そんな感じで日々が過ぎていった。

だが、とある時。

僕は突然「このままじゃダメだ」と覚悟を決めた。

きっかけは体育のバドミントンの授業。

僕は当然だけど、バドミントンが上手かったので、めちゃくちゃ輝いていた。

そしたら、「あいつ普段根暗なのに上手くね?というかめちゃくちゃかっこよくね!」と言われるように。

そこで僕は、「バドやってる僕ってかっこいいんだ」と謎に自信を持った。

そして、この勢いで何かしらのポジションを取ろう。

そう思い、小学生の時みたいに、みんなからのいじられポジションを、プライドを捨ててでも取ろうと考えた。

流石にかっこいいポジションはきつかったので、ヤンキーにうまい具合に突っ込んでもらおうと考えた。

そこで、数学の授業の時に、誰にでもわかるような問題の答えを、正解がわかっていたのにも関わらず、あえて間違えるという作戦を決行。

そしたら、それに不良たちが、

「はんちょう〜〜、それ俺たちでもわかるぜ〜〜笑笑笑」

と反応。

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これをきっかけに、僕は不良の男達から謎にめちゃくちゃ好かれるようになった。

さらに、僕は数学が得意だったので、不良たちに教えた。

そしたら、だんだん「あいつは良いやつ」と言うような噂が流れ、評価されるようになった。

しかも僕がびっくりしたのが、彼らは周りから見たらめちゃくちゃ怖いやつだったのに、一度話してみたらめちゃくちゃ良いやつだったことが判明。

なので、僕は彼らと普通に打ち解けて、話せるようになった。

(まぁ、あるあるだよね)

ちなみに吃音症はこの頃はまだ全然あった。

けど、一旦友達としての関係を持ったら出にくかったので、普段のコミュニケーションで困ることはあまりなかった。

一方、僕は中学時代での、部活の最後の大会の思い出が心残りだった。

ただ、当然こんな高校で、ちゃんとした部活があるはずがない。

そこで高2の秋頃に、ネットの掲示板でクラブチームを探し、そこに所属することにした。

クラブチームということもあったので、年来は若者からおじさんまでたくさんいた。

けど、まぁ県でベスト4なら大丈夫でしょ、と余裕をぶっこいていたら、そのクラブチームのおじさんたちがめちゃくちゃ強かった。

それは驚くほどだった。

雰囲気も全く異なり、何よりも経験値に差があると痛感させられた。

そこで、またバドミントンへの熱意が再燃し、そこからまたバドミントンが好きになった。

そしてまた練習を繰り返す日々を行なった結果、何度か大会で優勝することもできた。

そんなことをやっているうちに、「将来はコーチとかになって働きたいなぁ」と思い始め、僕はスポーツの専門学校へ進学することにした。

またもや治安が…

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そして、僕はそのままスポーツ専門学校へ進学した。

専門学校では、トレーナーとしての知識や、筋肉、栄養学、コーチングといったことを学んだ。

また、この学校は、それなりに強豪校の人が集まっており、少し期待も。

しかし、その期待はすぐに打ち砕かれた。

というのも、この学校に来る人たちは、確かに強い人たちばかりだったものの、「人間性」に難があり、それ故に推薦が取り消された人たちばかりだったからだ。

おかげで、学校内での治安は最悪の状態。

バドミントンに打ち込めるような環境では、全くなかった。

そこで、またもやクラブチームを探し、そこで練習することにした。

また、僕は人生で初めてナンパもした。

学校には女の子がほぼいなかったから、ちょっと女の子とちょめちょめしたいな、なんていう気持ちが芽生えてきたんだ。

そこで、友達複数人と、池袋で初めてナンパをしてみることに。

ただ、僕も含めて友達もみんな、“非モテ”だった。

そのため、マインドはめっちゃ雑魚で、なんなら女の子に声をかけているナンパ師を見て、

「なんか頑張っててキモいな」なんて思い、やんなくていいっしょとナンパはしなかった、というかできなかった。

完全にただ拗らせて、僻んでいただけだった。

他にも、すごく仲が良い友達から「クラブ行こうよ」と誘われた時もあった。

顔にも自信が無いし、身長も168センチしかないトークにもそんな自信ないからいつも断っていた。めっちゃ誘ってきたけどそいつ。

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そんなこんなで普通に学校生活を送っていたけど、僕の学校は2年制だったので、すぐに就活に時期になった。

ただ、この学校が超ブラックだった。

通常の専門学校なら、就職先を斡旋してくれることが多いけど、僕の学校は一切斡旋をしてくれなかったんだ。

おかげで、僕は卒業後はフリーターとして、スーパーで働くことに。

本当なら今頃トレーナーとして、どこかで働いていたはずなのにと、思いながらレジ打ちのおばちゃんたちと他愛も無い会話を過ごす日々が続いた。

そんな日常が半年続いて後、10月ごろに転機が訪れた。

僕は卒業後もバドミントンのチームに所属していたのですが、そのチームの人の紹介で、個人でスポーツ専門店を営んでいる人の会社で働けることになった。

おかげでやっとフリーター生活から解放され、無事に正社員となることに。

仕事内容は、バドミントンの商品を売る営業の仕事だった。

トレーナーの仕事ではなかったとはいえ、スポーツ関係の仕事に携わることができたのは嬉しかった。

ちなみに、少し時間は戻るが、20歳ごろに初めて風俗に行った。

きっかけは、単純に経験として体験してみたかったから。

ちなみにこの時、まだ童貞。

ただ、ソープに行く勇気はまだなかったので、最初は至って普通の店舗型の風俗に行った。

そこで、初めて天に昇るような快感を得て、そこから俺は風俗にハマった。

今まで計100回以上は行ったと思う。

また、風俗には意外な効果があった。

それは、吃音症の緩和。

当時はまだ知らない人と話す時はどもることが多かったんだけど、風俗嬢と事後に色々話すうちに、知らない人と話すことに慣れていった。

おかげで、今は完全に直ったわけでは無いものの、かなり普通に喋れるようになった。

そんなことがありながら、会社に就職してしばらく経ってからの事だ

会社が倒産

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会社に勤めて少し経った頃。

いきなり、会社が倒産した。

理由は、コロナの影響で売上が下がったから。

そのせいで、僕はまたフリーターへと逆戻り。

これがちょうど、今年(2021年)の1月の話。

実家暮らしだったといえ、収入がないと流石に暮らすことはできなかったので、仕事を探した。

そこで、運よく、とある高校でのバドミントンのコーチの仕事を、知人に紹介してもらった。

すぐさま応募したら、翌週にはあっさりと採用。

おそらく、僕の過去の大会での優勝経験などの経歴のおかげだったんじゃ無いかと予想している。笑

ただ、給料はあんまりもらえず、1ヶ月で大体3万円ぐらい。

そこで本当はダメらしかったんだけど、私立と公立の2つの高校でコーチを始めることに。

それでやっとこさ、毎月6万5千円ぐらい入ってくるようになり、なんとか生活はできるようになった。

そんな生活を1月〜4月の計4ヶ月過ごした。

そんな時、転機は突然現れた。

僕はたまたまTwitterで暇を潰していた時、ナンパ界隈なるものがあることを知ったのだ。

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そこには、すごい人たちがたくさんおり、ナンパした女の子とめちゃくちゃS○Xしているという実態に驚いた。

ソープに行ったので一応童貞は卒業していたものの、未だ素人童貞だった僕は、「この人たちから学んだら、お金なくても卒業できるんじゃね」と思った。

そこから僕は、ひたすら界隈の情報を漁り始めた。

大手アカウントのツイートやブログを読んだり、無料noteを探してみたりした。

ちなみに、お金は使いたくなかったというか無かったので、有料noteは1冊も買わなかった。笑

そこで最初はペアーズを始めた。

けど、全然マッチしないし、そもそも自分の写真があんまりなかった。

そこで、初めてストナンもやってみた。

そして、僕はここで意外な才能を発揮した。

初めてのストナンだったのにも関わらず、そこまで地蔵せずに声かけすることができた!

というのも、僕は昔からかなりの方向音痴で、道がわからなくなったら、すぐにその辺にいる人に道を教えてもらっていた。

おかげで、他人に話しかけるということのハードルがかなり低く、他人にでも誰にでもさらっと話かけることができた。

そして、気がついたら初めてのストナンだったのにも関わらず5時間半ぐらいナンパをしていた。

そして、その後本格的にナンパを始めようと、4月15日に界隈に入り、童貞卒業宣言。

そうやって自分を追い込んだ結果、4月24日に無事に童貞を卒業することができた。

風俗でたくさんの女の子と話してきたからそれがストの結果にも繋がったのかも知れない(多分気のせい)

あとは、これまでのTwitterの発信の通り、スト値あげなしで1ヶ月で20即したり、講習を始めてみたり、クラスタの方を集めて番ゲ対決を企画したり色々やってきました。

おかげで、今のフォロワーは2,100人以上集まり、それなりに界隈でも有名になってきたんじゃ無いかと思います。

以上が、僕ことはんちょうの過去でした。

こんなにも長文の文章を読んでいただき、ありがとうございます。

「はんちょうの過去面白いじゃん」
「やっぱり班長は昔からスト低だったのか」

と思ったら、ぜひ感想くれたら嬉しいです。

これからも皆様に有益な情報を発信し続けるので、引き続きよろしくお願いいたします。

はんちょう

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